芥川龍之介の「桃太郎」を読みました。
言わずもがな「桃太郎」は、桃太郎が動物たちを引き連れて鬼退治をし、宝物を持ち帰っておじいさんおばあさんと幸せに暮らしましたとさ、という昔話。
芥川龍之介の『桃太郎』
芥川龍之介『桃太郎』(大正13年)を読んでしまったら、桃太郎という昔話に対する見方が変わります。
鬼退治という名の征服、侵略でした。
鬼にしてみれば、人間が鬼でした。
「鬼になる果実」から生まれたのが桃太郎。
つまり桃太郎は鬼でもあるんですね。
巡り巡っているわけです。
■青空文庫 芥川龍之介『桃太郎』
楠山正雄の『桃太郎』
楠山正雄の『桃太郎』(昭和58年)も読んでみました。
こちらは、王道の「桃太郎」で、わかりやすい英雄伝説です。
まったくもって、桃太郎側の視点で描かれています。
■青空文庫 楠山正雄『桃太郎』
「桃太郎」は、明治期に教科書に採用され、以後現在知られているような標準型のあらすじとなったそうです。明治の国家体制に伴って、鬼ヶ島を外国に例え、日本の周辺諸国に立ち向かう勇敢な桃太郎、つまり桃太郎みたいな英雄になろうじゃないか!とも響いてきます。
「どうだ。鬼征伐はおもしろかったなあ。」
結構しんどいフレーズだと思います。
柳田國男の『桃太郎の誕生』
日本人の思想は古事記の神話に繋がるのではないかと安直に思い、その直感こそが安直だと思い直し、日本民俗学の創始者柳田國男『桃太郎の誕生』(昭和5年)を読んでみます。
民間説話2000年間の成長変化と続きます。この国に伝承されてきた様々な昔話は、少なくとも2000年の歴史があり、各地で変化し続けてきたこと大変興味深いです。
発願次第
桃太郎の鬼が島征伐などといふ昔話は、(中略)たわいも無いものであるが、尚それが独り日本現代の一つの問題であるのみで無く、実際はやはり亦世界開闢以来の忘るべからず事件として、考察さらるべきものものであった。
柳田國男全集6 筑摩書房「桃太郎の誕生」p.243
神話と説話と伝説
我々の生まれた国に於ては、今でもまだこの二つのものが、それと因縁の深い「伝説」と、三つ巴になって交錯して居る。
柳田國男全集6 筑摩書房「桃太郎の誕生」p.247
異常誕生
貧しい大工の女房の腹からでもイエス・キリストは生れ得たと同様に、至って賎しい爺と婆との拾ひ上げた瓜や桃の実の中からでも、鬼を退治するような優れた現人神は出現し得るものと、信ずる人ばかりの住んで居た世界に於て、この桃太郎の昔話も誕生したのであった。それから以後の色々の変化は、単なる成長であり乃至は老衰であって、我々はこの一つの生きて行くものに、新たな生命を賦与する力は有たなかったのである。
柳田國男全集6 筑摩書房「桃太郎の誕生」p.260
柳田國男の独特の言い回しは手こずりましたが、「桃太郎」が安直に神話につながっているわけではないけれど複雑に交錯しているといえます。その複雑さが、全体の文脈から窺えます。
このあたりはもう少し考察しなければならないと思いつつ、なんというか、深すぎる。これ自体が昔話を読んでいるような不思議な感覚に陥るのです。
三人の『桃太郎』をめぐって見えてくるもの
- 芥川龍之介 1892年(明治25年)-1927年(昭和2年)
- 楠山正雄 1884年(明治17年)-1950年(昭和25年)
- 柳田國男 1875年(明治8年)-1962年(昭和37年)
興味深いことに、柳田國男が一番先に生まれ、次に楠山正雄、芥川龍之介と誕生しています。そして逆の順番で没しています。芥川龍之介が『桃太郎』を書いた1924年は当時32歳、楠山正雄は40歳、柳田國男は49歳。生きていた時期が重なっていることがわかります。
芥川龍之介が自殺した数年後、満州事変が起こり、そして太平洋戦争へ。
日本の義務教育ではアジアへの加害を読み飛ばすレベルでしか教わりません。戦争は勝ち負けでしかなく勝つことが目的ではあるが、桃太郎教育に洗脳されてきた日本人は桃太郎が負けるというストーリーは、負けてしまってもあり得ないのでしょう。
敗戦を受け入れることの悔しさもわからなくはないけれど、失敗の本質もまた学ばなければならないに至るし、アジアへの加害の事実とそこでの死者を悲しむ心や背景を捉えなくてはならないと感じます。
芥川龍之介が社会や人間の本質を表現したように、その視点で事実として起こった戦争を見なくてはならないし、また柳田國男のように日本人とはなにかと問うことも重要であると『桃太郎』をめぐって考えずにはいられませんでした。
■画像出典元:足立区立郷土博物館 月岡芳年「桃太郎」
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