穂村 弘『世界音痴』な私とエイリアンズ

十数年前、東京から実家のある新潟に戻った。

地元で生活をすることを選んだが、地元のはずがアウェーであるよう感じる。居場所がない。無職も飽きて悶々とした日々が続き、私の心は明らかに閉じていた。地元だけど早く慣れなくては。

地元が恋しかったわけではない。そもそもどこにいようが私は私の世界にしかいない。

逃避したいのか本が読みたい。読んでる暇があるなら資格の勉強でもすれば?ともう一人の私が言っている。


図書館の特設紹介コーナーに足を止め、たまたまなのか運命なのか、目に留まった穂村 弘『世界音痴』。よくわからない不思議な装幀センスと「世界音痴」とはどういうこと?怖いもの見たさに手に取る。

読み進めると、ニタニタした顔で笑っていた、と多分思う。漫画かよっ、いや本当に画が浮かんでくるのだ。似たような疎外感と境遇と経験と、私と似ている人がいたという感動。滑稽で可笑しくてバカみたいに何かに執着していて、でも愛おしくなる。

『世界音痴』穂村 弘
小学館文庫 2009



慣れない運転もそのうちに慣れ、ウィンドウ先のなんてことない景色をぼんやりと眺める。車の中のひとりだけの空間が心地よく、時々は寂しくなったり、いろんな思いが交錯する。

東京にいた時と変わらない会社勤めという日常が始まった。仕事に向かう片道44kmの車内、カーラジオからなまめかしいギターの音が響いてきた。

聴こえてくるのはキリンジの『エイリアンズ』だった。

誠実そうな浮遊するような歌声と、胸に沁み込んでくるメロディ、あ、この曲好きだな…。車を路肩に寄せて「エイリアンズ」と忘れないよう書き留める。

「alien」を辞書で調べてみると、本来は”異邦人”という意らしい。
「外国の、外国人の、性質を異にして、かけ離れて、調和しないで、地球圏外の」

なんだかいい詩に響いてくる。

真っ暗な夜のバイパスを走っていると、「エイリアンズ」が頭に流れ、なんてことない景色が違ったように映る。こういう時間が欲しかったんだと思うのである。






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